“ひび割れ壺”の物語

  

今日もこちらのブログを訪ねて下さり、ありがとうございます。 

 

今日の東京は、雨でちょっと寒い1日でした。

雨はとても大切なモノですが、でもやっぱり早く梅雨明けて晴れた毎日が待ち遠しいですね。。。 

 

  

さて今日は、むかし耳にしたこんなお話。

 

ひび割れ壺の物語。

 

このお話、皆さん知っていますか?

  

むかし読んだ「子供の心のコーチング」(菅原裕子著 PHP文庫)という本の中の最後に載っていたステキなお話です。
  

これは著者の菅原さんがが、アメリカの友人から送られたメールにあったお話だそうですが、まさにハートフル・コミュニケーション!なので、お伝えします。。。


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「ひび割れ壷」

インドのある水汲み人足は二つの壷をもっていました。
天秤棒の端にそれぞれの壷を下げ、首の後ろで天秤棒を左右にかけて、彼は水を運びます。
その壷のひとつには、ひびが入っています。 もうひとつの完璧な壷が小川からご主人様の家まで一滴の水もこぼさないのに、ひび割れ壷は人足が水をいっぱい入れてくれても、ご主人様の家に着くころには水は半分になっているのです。
完璧な壷は、いつも自分を誇りに思っていました。 なぜなら、彼がつくられた本来の目的をいつも達成することができたから。
ひび割れ壷はいつも自分を恥じていました。 なぜなら、彼がつくられたその本来の目的を、彼は半分しか達成することができなかったから。

2年が過ぎ、すっかり惨めになったひび割れ壷は、ある日川のほとりで水汲み人足に話しかけました。
「私は自分が恥ずかしい。 そして、あなたにはすまないと思っている」
「なぜそんなふうに思うの?」
水汲み人足はたずねました。
「何を恥じているの?」
「この2年間、私はこのひびのせいで、あなたのご主人様の家まで水を半分しか運べなかった。 水が漏れてしまうから、あなたがどんなに努力をしても その努力が報われることがない。 私はそれがつらいんだ」
壷は言いました。
水汲み人足は、ひび割れ壷を気の毒に思い、そして言いました。
「これからご主人様の家に帰る途中、道端に咲いているきれいな花を見てごらん」

天秤棒に吊りさげられて丘を登っていくとき、ひび割れ壷はお日様に照らされて美しく咲き誇る道端の花に気づきました。
花は本当に美しく、壷はちょっと元気になった気がしましたが、ご主人様の家に着くころには、また水を半分に減らしてしまった自分を恥じて、水汲み人足に謝りました。
すると彼は言ったのです。
「道端の花に気づいたかい? 花がキミの側にしか咲いていないのに気づいたかい? ボクはキミからこぼれ落ちる水に気づいて、キミが通る側に花の種をまいたんだ。 そしてキミは毎日、ボクたちが小川から帰る途中水をまいてくれた。 この2年間、ボクはご主人様の食卓に花を欠かしたことがない。 キミがあるがままの君じゃなかったら、ご主人様はこの美しさで家を飾ることはできなかったんだよ」(作者不詳 菅原裕子訳)


私たちはみな、それぞれユニークなひび割れをもっています。
私たち一人一人がひび割れ壷なのです。
私たちの仕事は、子どものひびを責めることではありません。
自分のひびを責めることでもありません。
子どものため花の種をまくこと、それこそが親の仕事です。
子どもたちはどんな花を咲かせてくれるでしょう。
そして、私たち親はどんな花を咲かせるでしょう。。。  

  

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いかがですか?

 

私たちはみんな「完璧な壺」なんかじゃありません。

これを書いている私だって、ゼンゼン完璧ではない「ひび割れ壺」なんです(笑)

だから、私たちの子供にちょっとくらい“ひび”があったって、たいした問題ではないのです。

その子供をどうプロデュースするか?が、私たちの仕事と責任。

 

 

結果的に、私たちの子供が歩いた跡には、キレイなお花が咲けば良いのですから・・・💛

 










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